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東京主僕教会の最近一か月の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。

2017年3月12日礼拝説教要約

説教要約

「神さまに愛されている私たち」ヨハネ3・16-17

 6年前に起きた東日本大震災原発事故の後、大津波に襲われて教会の建物もなくなってしまった気仙沼陸前高砂の教会では、瓦礫の中に流木で十字架が建てられたり、ただ一つ残された十字架で塔が建てられました。

 

 その地の教会の人々はイエス・キリストの十字架によってどんな時も変わることのない神の愛を見いだし、慰めと希望を与えられてきたのです。このキリストによる神の愛を示しているのが今日の聖書の御言葉です。

 

 しかし、神さまがこの世界を愛し、私たちを愛して下さっているということは、どういうことでしょうか。愛されているということはとてもうれしいことです。自分が大切にされている、ということです。自分を大事にしてくれている人がいるということです。自分を大切にして大事にしてくれる人がいなければ、とても悲しくつらくなってきます。でもどんな時も神さまは見捨てることなく、いつも変わることなく私たちを大切にして大事にして下さっています。

 

 その愛を私たちに証明するために一つの行動をとられました。大事な独り子であるイエス様を私たちに与えて下さったのです。イエス様は私たちの全てをご自分のものとして背負い、十字架の苦しみと死を遂げて下さいました。このイエス様によって、私たちの罪は赦され、神さまが共に歩んで下さる、という永遠の命が与えられているのです。どんな自分に思えても、どんな私たちであったとしても、この神さまの私たちに対する愛はどんな時も変わることがありません。

 

 17節の「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」の御言葉は何度も確認していきたい大事な御言葉です。私たちの人生には、神さまは私たちに何を望んでおられるのか、神さまの御心は何かと思い、悩む時があります。けれども、今日の聖書の御言葉で、神さまの御心という時に一番大事なこと、ボトムライン、最低線は、神さまがどんな時も、私たちを裁くことよりも、私たちを愛することに関心を持たれている、ということをはっきりとさせているということです。

 

 神さまの愛はどんな時も変わることはありません。どんな時も私たちの全てに関心を持ち、神さまと共に生きる永遠の命に生きていくことを望んでおられます。苦しみの中で本当に支えられ生かされていくのは、神さまが自分を裁き、見捨てているのではなく、自分を愛し、赦し、共に歩んで下さっていることを信じる時なのです。イエス様の苦しみと十字架の死、十字架は、どんな時もその神さまが私たちを見捨てずに私たちを愛し共にいて下さることの印です。絶望しかない所にも命の道が開かれ、私たちには希望があることの印なのです。

 

 どんな時にも、涙があふれる時にも、孤独に震える時も、私たちのために自らの命をかけて身を横たえ、激流の上に自らを差し出して、「明日に架かる橋」(サイモン&ガーファンクル)となり、私たちと神を結ぶ架け橋となって、私たちと共にいてくださるイエス様がおられます。私たちに注がれている神さまの愛はどんな時も変わることはありません。この十字架の神さまの愛に触れる時、私たちは人生を新しく始めていくことができるのです。この神さまの愛に心を開き、愛をもって歩んでいきたいと思います。

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