東京主僕教会の最近一か月の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。

2017年5月7日礼拝説教要約

「良い羊飼い」ヨハネ10・1-10

 

 このヨハネによる福音書の10章は9章から始まる物語の締め括りです。イエス様によって目の見えなかった人が目を癒されて、イエス様のことを神のもとから来た救い主だと言ったのを、ファリサイ派の人々は受け入れられませんでした。その人は罪人だから神さまに受け入れられているはずはないと思っていたからです。だから外に追い出してしまったのです。ファリサイ派の人々は、その人は神に受け入れられ赦されている存在ではない、神からも人からも受け入れられていない存在であり、価値のない者として考えていたことが分かるのです。

  ファリサイ派の人々は、羊の囲いを強引に乗り超えて入ってきて羊を奪い取っていく盗人のように、人を罪人と決めつけて自分たちに従わせようとしました。しかし、イエス様は、ご自分は自然に羊の囲いに入る羊飼いであり、羊は自ずと羊飼いに従っていくのだと語るのです。それが目の見えない人に起こった癒しだったのです。

 

 羊飼いと羊の関係はとても印象的です。声をかければその声に従ってくる。どうしてそのような関係が生まれたのでしょうか。星の王子さまのように、長い時間、辛抱強く仕え、配慮し接していったからに違いありません。イエス様と目を癒された人の関係も同じであり、私たちとイエスさまの関係も同じなのです。

 

 イエス様が私たちを愛し、私たちのもとに来て、私たちに辛抱強く配慮し、仕えて下さっている。そのことを私たちはイエス様の十字架の死に示されています。私たちがまだイエス様を知らない時から、イエス様は私たちを愛し、私たちの全てを引き受け、私たちの負うべき罪の裁きを背負って、十字架で死なれ、復活してくださいました。イエス様は目で見ることはできません。けれども、今こうして、聖霊の働きを通して、聖書へと導き、イエス様が私たちの羊飼いとして共にいて下さることを教えて下さっています。

 

 私たちを愛し、私たちを信頼し、私たちを価値のある者、かけがえのないものとして愛し、心にかけ、尽くしてくださり、私たちが迷子になっても背負って助け出し、導いて下さるお方がいます。神によって親しく知られていること。名前で呼ばれていること。配慮され、心を尽くされていること。そして、親しいものとして信頼できること。この愛による信頼の関係こそが私たちの心を満たすのです。私たちにはこのイエス様の愛による親しい関係が必要なのです。「あなたは私たちをご自分にむけてお造りになりました。ですから、わたしたちの心はあなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです」。

 

 イエス様は私たちを滅ぼすのではなく、どこまでも、私たちが神の命、永遠の命を受けること、その命に生かされ、養われて、完成していくこと。それを目標にされています。それが私たちの希望でもあります。神さまの愛を受け、神さまを愛し、人を愛して生きること。キリストに似たものに変えられていくこと。豊かな命を受け、この命の完成、神の豊かさの全てにあずかるまで、イエス様は私たちをあきらめず背負い、導いてくださいます。この主がいつも共にいて守ってくださるからこそ信頼して従っていくことができるのです。

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