東京主僕教会の最近一か月の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。

2017年5月14日礼拝説教要約

「私たちの道であるキリスト」ヨハネ14・1-14

 

 今年の9月「アメイジング・ジャーニー-神の小屋より」という映画が上映されます。この映画の案内によれば、1月に映画化された遠藤周作の「沈黙」の問いへの答えとなる映画だと宣伝されています。

 

 愛する娘の命を誘拐事件で奪われた父親はその心をえぐられる事件現場で不思議な三人の人物と出会います。それは三位一体の神を表しています。この神に出会い、希望の光を与えられ、自分を取り戻していく物語です。三位一体の神についての理解は、全ての問題を考える道筋を私たちに与え、力を与えます。私たちには、不安の中にある時、希望が必要です。闇の中の光が必要なのです。私たちに希望の光を与えるものが今日のイエス様のみ言葉なのです。

 イエス様は不安に包まれている弟子たちに「心を騒がせるな」と言われます。しかし、その不安から解放されるために父なる「神を信じ」、その父なる神を示して下さっているイエス様を信じることが必要です。しかし、ただ信じなさいと言われているのではありません。「わたしの父の家には住む所がたくさんある。~行って、あなたがたのために場所を準備する」。このみ言葉はこの後イエス様を見捨てていく弟子たちに語られました。しかし、その弟子たちのために「あなたがたのために場所を準備する」と言われるのです。弟子たちは後になってこの言葉を思い出した時、自分はどんなに見捨てられていない自分であるのか、自分はどんなに愛されているのかを痛感したはずです。これほどの愛に満ちた、恵みに満ちた約束はありません。このみ言葉の約束こそ、暗闇の中での光であり、その中で立っていくことを可能にする希望であり、力を与えていくのです。
 しかし、この聖書のみ言葉は将来の希望だけを語っているのではありません。7節「今から、あなたがたは父を知る。いや(今)既に見ている」。9節「(今)私をみた者は父を見たのだ」。今、イエス様が共にいてくださる。父なる神はそのイエス様のようなお方である。そして、今このイエス様と共に、父なる神がおられます。「わたしが父のうちにおり、父がわたしの内にいる」。イエス様が言われている住む所、その「住む所」という言葉は「とどまるところ」という意味があります。父なる神と共におられるイエス様にとどまっている。それが住む所。御子イエス・キリストによって聖霊を通して御子イエス・キリストと父なる神との関係の中に私たちは招き入れられています。たとえ目には見えなくても、イエス様がおられる所に私たちはあり、私たちがいる所にイエス様はいるのです。それが今、私たちに起こり始めている神さまの約束の実現であり、神さまの恵みの奇跡なのです。
 私たちは道を見失うような時も、神の愛する子どもであり、神は決して見捨てることなく共にいてくださることを知る時、神の子供として、神の喜ばれることを願いながら、人生が正しい道へ導びかれることを信じていくことができるのです(トーマス・マートンの祈り)。

 「わたしは道であり、真理であり、命である」。イエス様が父なる神に至る道であり、イエス様を通して父なる神を知り、真理を知り、神と共にいます命を与えられます。イエス様が私たちの住まいであり、家であり、今、聖霊の働きによって、「あなたがたのために場所を準備する」、この約束の実現が始まっているのです。これほど私たちの心を安心させるものはありません。このイエス様がおられるからこそ、心を騒がせることをやめることができるのです。

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