東京主僕教会の最近一か月の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。

2017年5月21日礼拝説教要約

「私たちはみなしごではない」ヨハネ14・15-21 

 

 私たちの人生には、自分に起こってくること、自分の身近に起こってくることで動揺し、心が不安に包まれることがあります。神はおられるのか。孤独を感じ、希望をもつことが難しく思えることがあるかもしれません。

 

 けれども、そのような私たちが安心して勇気をもって生きることができるようにこのみ言葉は語られたのです。「わたしはあなたがたをみなしごにはしておかない」。でも、このみ言葉を実現するのは「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」、この約束によってです。復活して、神さまのもとに戻られるイエス様は、神さまにお願いして、弁護者としての聖霊を遣わしてくださっています。


 「弁護者」のもともとの言葉は「傍らに呼ばれる者」という言葉で、私たちの傍らにいてくださる聖霊が「真理の霊」として、私たちに語りかけ、イエス・キリストへと導き、私たちをキリストによる神の真理の中に連れ出して下さいます。


 その真理とは「わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる」ということです。復活のキリストが生きておられる。そしてこの復活されたイエス・キリストと共に、私たちも今生きている。そしてこれからも主と共に生きる。この真理へと聖霊は導いてくださいます。

 

 この弁護者、傍らに呼ばれる者、という言葉は他の聖書の箇所では慰めるとも訳されます。聖霊が共にあり、御子イエス・キリストへといつも導き、私たちを慰め、助けてくださいます。ローマの信徒への手紙の8章によれば、私たちの傍らにある弁護者としての聖霊の働きは、私たちを助けてとりなしてくださる働きです。不思議なことに、聖書によれば、苦しみにあっている時にこそ聖霊が共にいてくださる、神が確かに共にいてくださることを最も確実に期待できるのです。苦しみの中でどう祈るべきか分からない。けれども、霊自らが言葉に表せないうめきをもって取りなし、助けて下さっています。「弱い私たちを助けてくださいます」。私たちの弱さを共にして、それをご自分のものとしてとられ、私たちを父なる神に執り成し、私たちを弁護して助けてくださっています。その聖霊の働きを信じる時、慰められ、助けられていくことを経験するのです。

 イエス様が父なる神にお願いして聖霊を送ってくださる約束は無条件です。もう一人の弁護者、イエス様の執り成しの救いの御業にみられるように、聖霊はどんな人であっても愛し、受け入れ、永遠に共にいて、助けて、神さまへと導いて下さいます。
草間彌生という人の絵には永遠につながっていく願いが込められているようです。天と地、永遠の神と私たちが出会い、結ばれて、その永遠の命に生かされる場所。それがキリストであり、キリストがお願いして父なる神が私たちに送ってくださる聖霊なのです。

 

 人生は戦いのようなものかもしれません。しかしその戦いの現実の中で耐え、課題に取り組み、乗り越えていくことを可能にするもの、それが弁護者としての聖霊であり、聖霊を通して共にいて生きておられる復活のキリストの現臨であり、力なのです。

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