東京主僕教会の最近一か月の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。

2017年6月4日聖霊降臨日礼拝説教要約

「生きた水の流れ」ヨハネ7・37-39

 

 

「渇いている人はだれでもわたしのところに来て飲みなさい」。好きな方も多いみ言葉です。しかし「渇いている人」とはどのような人なのでしょう。

  水は生きるために欠かすことはできないものです。しかし、体の水の渇きは何度水でいやしても、再び渇いてしまいます。けれども、一番大事な水は神様から与えられる命の水であり、生きた水なのです。私たちの心にも渇きといえるものがあります。人を愛したい、人から愛されたい。人と平和に過ごしたい。明日への希望を持ちたい。将来の不安から逃れたい。生きている実感を得たい。人に理解され、受け入れられ、認められたい。

 イエス様は、そのような渇きをもって生きている私たちに対して、わたしのところに来なさい、そうすればその渇きはいやされるのだ、と約束して下さいました。イエス様は信じるなら聖霊を送ってくださる約束をしてくださいました。聖霊は私たちをイエス・キリストへと導き、キリストによる恵みにあずかるように働きます。聖霊は生きた水、私たち一人一人を生かす水として働くのです。

 パウロの言葉には生きた水をもたらす聖霊の働きを多く発見することができます。聖霊の実りは、「喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」です。これは誰もが願い求めているものです。聖霊は私たちの中にこのようなものを生み出していくのです。「信仰と、希望と、愛、この三つのはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは愛である」。人から信頼され、人を信頼すること、明日への希望を持つこと。愛をもって生きること。聖霊はそのことを実現してくださいます。「あなたがたは自由を得るために、キリストは自由の身にしてくださったのです」。本当の自由とは神を愛し、人を愛して生きること、神に仕え、人に仕えて生きること。その自由をもって生きるために私たちは救われたのです。を与えると約束してくださったのです。

 そして、生きた水としての聖霊を注がれた者は、倒れても、行き詰ってても、絶望しても、立ち上がり、生きる力を失いません。神さまは愛する私たちに対する約束を完成するために困難の中で必ず逃れ道を備え、神様が備えてくださっている将来に向けて歩んでいく力が与えられます。この恵みはイエス様を信じる人に誰であっても与えられているのです。

 私たちは礼拝でイエス様の御言葉を与えられ聖霊を受けた者としてそれぞれの場へと遣わされていきます。まさに川の流れのようにエス様から、礼拝から、それぞれの場へと聖霊が私という人間を通してこの世界へと働いていきます。神さまは私たちを聖霊の神の器、人を生かす水を持ち運ぶ者として見て、私たちを必要として、用いて下さいます。

 イエス様こそ生ける水の源であり、私たちが生ける水を見出すことのできる場所です。イエス様は私たちの罪、死、重荷、苦しみ、全てをご自分のものとして下さいました。その代わり、私たちに神さまの愛、神さまの赦し、神の命の水を私たちに与えて下さっています。礼拝で私たちはイエス様に自分の罪、重荷、自分の悩み、自分の全てを置いて、神の愛、神の赦し、命をいただき、力と勇気を与えられ、聖霊の働きの中で用いられる者として変えられていくのです。

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