東京主僕教会の最近一か月の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。

2017年6月25日礼拝説教要約

「約束を実現してくださる神」マタイ9・9-13

 

エス様と徴税人マタイの出会いは本当に短く書かれています。なぜ徴税人という仕事をすぐに辞めて従っていくことができたのか。深い悩みがあったのかと思えます。けれどもその心の心理的な動きは何一つ書かれていません。それは大事だけれど、もっと伝えるべき重要なことがあるのです。

  むしろその悩みの中にあり、様々な妨げを覚える私たちが支えられ生かされていくのは、私たちを従う者に変えていく神の恵みの力、み言葉の力であり、神の御業、神の約束が必ず実現することの信頼なのです。

 ユダヤを占領し支配している敵のローマ帝国のために同胞からお金をとりたて、しかも必要以上にとりたてて私腹を肥やしていた人も多かった徴税人は神殿への出入りも禁止されるほどの罪人であり、詐欺師や殺人犯より悪い人々だと言われていた人々です。しかし、その最悪の罪人にイエス様は声をかけ、さらに多くの徴税人や罪人を招待し、食事を共にされたのです。けれども、それを批判したファリサイ派の人々は、そのような罪人は神さまに裁かれる存在であり、招待すべきではないと考えていました。

 ファリサイ派の人々のビジョンは、神さまはこのような罪人を受け入れないので離れるべきだというものです。けれども、イエス様のビジョンはこのみ言葉に現れています。「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人である。『私が求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か行って、学びなさい」。

 父なる神は憐み深いお方であり、神さまがどんな罪人であっても、神さまは愛し、受け入れ、愛をもって神と人とを仕える者とされていくこと、神の憐みを映し出す者となることを願っておられます。そのビジョンをイエス様はマタイに実現していきました。マタイはイエス様の食卓に奉仕し、神さまの憐れみに仕えていく者となりました。神さまはこのビジョンに従って、神さまの深い憐れみに生かされていくことを願って、遠い昔からアブラハムを召し、預言者たちを召し出し、そしてイエス・キリストによって、「私に従いなさい」と人々を招き、実現されてきたのです。

 「私に従いなさい」。何があっても神の憐れみを私たちに実現していくみ言葉が今朝、私たちにも語られています。一人一人の生活の場所で神の憐れみを映し出す者として用いて下さいます。必ず実現する御言葉を私たちは与えられているのです。

 福音によってしか癒されない病があります。福音の薬があるならば、本当に健やかに生きることができる。神の憐れみを信じ、悔い改め、神と人を愛して生きること。神の憐れみに従って生きること。マタイはそのことが罪深い者である自分にとっての究極の癒しであり、本当に健やかにされていく道であることを確認していくのです。

 私たちは因果応報の冷たいビジョン、考え方、法則によって支配されているのではありません。何があっても、どのような時も、神は憐み深い神であり、私たちを神の憐れみに生きる者、神の命に生きる者に変えて、完成してくださる、この神の愛によって支配され完成されていくことこそ、私たちの慰めであり、喜びであり、希望なのです。