東京主僕教会の最近一か月の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。

2017年8月13日主日礼拝説教要約

「主の言葉が燃え上がる」エレミヤ20・7-9(13)

 

 8月は戦争と平和について考えざるを得ません。どうして戦争が起こるのか。その一つは憎しみの連鎖、復讐の応酬によって争い、戦争が起きるということです。人間は復讐と仕返しを求める生き物なのです。エレミヤ書20章12節「わたしに見させてください。あなたが彼らに復讐されるのを」。預言者自身も復讐、仕返しをしたいという思いを持たざるを得ませんでした。

  けれども、エレミヤが実際に復讐を自分の手でしたことはありません。このエレミヤの在り方はどのように平和の道を歩んでいくことができるのか、その道を示しているのです。

 エレミヤは誇り高く、神経の太い人だったのではありません。ことあるごとに自分の弱さ、無力さ、心の醜さをよく痛感し、嘆いた人でした。同胞の愛する人々に神の厳しい裁きを告げなくてはいけない。しかも、人々は受け入れず、自分を恥として呪っている。エレミヤは神さまに「あなたはわたしをだました」、「力ずくで意のままにしたのだ」と怒り、嘆いて、その思いを告白しています。

 「わたしが語ろうとすれば、それは」人々に対する「嘆き」の言葉「となり」、人々に「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。この「主の言葉のゆえに、わたしは一日中、恥とそしりを受けねばなりません」。神さまが目に見える仕方で助けてくれるということが起こらないのです。けれども、反対に、もうやめよう、「主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい」、沈黙しよう、そう「思っても」、目に見える慰めが与えられません。むしろ「主の言葉が、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がります」。主の言葉は「押さえつけておこうとして」もできず、語らざるを得ないのです。主の言葉、神の言葉との戦いの中で「わたしは疲れ果てました。わたしの負けです」。どんなに抵抗しても、神の言葉に圧倒され、勝利され、打ち負かされてしまうのです。

 エレミヤは神の言葉は必ず実現することを経験していきました。神の言葉は生きて働いている。神の言葉、神の御心は必ず実現し、勝利することを経験していきました。神の言葉が必ず勝利する。そこに神の恵み、神の愛の勝利を見ることができます。どんなに弱い自分だ、どんなに罪深い自分だと思えても、神さまがその自分を愛し、捕らえ、赦し、悔い改めを起こし、生かし、用いられていく神の言葉、神の愛、神の恵みの勝利の圧倒的な力を経験してきたのです。その恵みに私たちも捕らえられているのです。

 それでもエレミヤをとりまく現実は変わりません。けれども、絶望せざるを得ない現実の中で、このエレミヤが支えられ、励まされていくのは、11節「しかし、主は恐るべき勇士として私と共にいます」。私たちの嘆きや訴えを聞いて下さっている神が共にいてくださる、神はどこまでも私たちの味方である、ということです。自分はこの神のものであり、神の愛の御手の中にある。神は慈しみ深い神であり、必ず救いを完成し、ご自分の正義を実現してくださる。絶望の中で、神に嘆き、この神からもたらされる希望を示されて、復讐したいという思いを打ち明けながら、その思いを神に委ね、神を賛美し、主の僕として仕え、前進していくことができるのです。私たちは神の言葉の力、神の恵みの勝利の力に包まれているのです。