東京主僕教会の最近一か月の説教など

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2017年8月20日礼拝説教要約

「あなたたちのための計画」エレミヤ29・10-14

 

 捕囚の出来事は旧約聖書の歴史の中でかつてない程の最悪の出来事でした。家族や家を失い生き残った指導者達、長老、祭司、預言者たち、そして多くの主だった人々はバビロニアの首都バビロンへ連れ去られていきました。

 

 この人々に対して書かれたエレミヤ書29章の手紙の特徴はバビロンでの捕囚生活がすぐに終わらない、長引くことを前提としています。落ち着いた生活をし、木々を植え、畑を耕し、収穫を確保するように。その地の人々を受け入れ、結婚し家庭をもったり、人々を大事にして平和に暮らすように、そのためにはバビロニアのために祈るようにさえ勧めています。

 しかし、このようにわざわざエレミヤが手紙を書いているのは今のバビロンにいる人々の現実が正反対だったからです。人々はバビロンでの生活に慣れていませんでした。憎むべき敵に囲まれている。言葉も教育も文化も違います。食べ物も産物も気候も違います。風習、習慣、何もかも違い、理解できません。こんなはずではなかった。今神から見捨てられているとしか思えず、受け入れがたい現実がある。一刻も早くここから離れ出ていきたい。慣れ親しんだ故郷を離れ、全く知らない場所に来て、慣れない場所で、ここは家ではない、くつろぐことのできない場所、孤独の中にいたのであり、人生に空しさを感じ、意味と目的を見失っていたのです。

 この捕囚の経験はまさにこの世界で生きている私たちの誰もが経験することなのです。私たちの人生も生きていく場所を移していく捕囚の民に似ています。ずっと同じ環境にい続けている人はいません。学校、仕事、病気、死。慣れ親しんだ環境ではなく、全く経験したことのない、むしろ嫌だ、としか思えない、将来も何も希望がない、と言える環境に置かれることもあります。自分の周りの人々も、将来もどうでもよいと思えてしまう時があるのです。しかしエレミヤはここがあなたの生きていく家なのだ、というのです。

 エレミヤ自身、このことを受け入れることができたのは、自分の視点、この世界の視点ではなく、神さまの視点から見ていたからです。自分の人生の年月を超えて歴史を導く神の視点があります、「わたしは恵みの約束を果たし、この地に連れ戻す」、「わたしは、このあなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。それは平和の計画であって、災いの計画ではない」。この神の視点、神さまの約束こそ「将来と希望を与える」のです。神さまはこの約束を実現するために、今人々を見捨てることなく守り、支え、導いておられます。神はここにいない、神さまに見捨てられている、と思っていた。しかし、今ここに神が共にいてくださる。自分に恵みがないのではなく、豊かに与えられていることを知ったのです。この神に祈り、み言葉に聞き、神の命の交わりをいただいていく。それが力となり、神さまの未来への働きに加わっていく力となったのです。

 最悪だと思っていた現実の中で、神に出会い、かつてなかった最良のもの、最善のものが生みだされ、クリエイティブに神の平和に仕える者にされていく。それが捕囚の民、そして私たちにも起こっていくことなのです。