東京主僕教会の最近一か月の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。

2017年9月10日主日礼拝説教要約

「小さな者を愛される神」マタイ18・10-14

 

 讃美歌21の200番の「小さいひつじが」は日曜学校で昔から歌われてきた讃美歌ですが、よく覚えている方も多いと思います。子供の時、迷子になったり、独りぼっちになったことがあり、その時のことをよく覚えている、という方も多いと思います。その話を覚えているのは、それだけ、親とはぐれて迷子になってしまうこと、知らない場所で一人ぼっちに孤独になってしまうこと、それは自分にとって耐えがたい恐怖の体験だったからに違いありません。だからそこに重ねて、この話を覚えているのだと思います。この讃美歌も迷子になってしまうことの怖さをよくわかっているからこそ、その経験に重ね合わせ、この歌が心に残ってきたのではないでしょうか。

 しかし、どうして羊飼いは99匹を残して一匹を探しにいくのでしょうか。まだ迷っていない99匹と迷ってしまった一匹のどちらを取るか、と問われるならば、能率の点から言えば、一匹の羊を見つけ出す可能性と、一時であるとしても99匹を羊飼いのいない危険にさらすことを秤にかけて、99匹の方を取るのがこの世の中の考え方です。業績という点からすれば、いなくなってしまう羊よりも99匹を選びます。この世界は1を切り捨てて99を追い求めていく世界なのです。企業も人間も業績や能率によって評価され、それが人間の価値を定めていく客観的な尺度となっている時代です。そのような能率主義、業績主義に囲まれて、いつの間にか、一人の人の他に代えがたい価値が失われ、生きる意味を喪失してしまう時があるのです。

 しかし、この羊飼いは当然のように99匹を残して、迷った一匹の羊を探しに行きました。この譬え話のポイントは14節「これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」という言葉です。この一匹の小さな羊が豊かな命を得て救われることをどこまでも羊飼いは望んでいます。羊飼いはその羊をそのままで愛し、祝福し、その存在を喜ぶのです。それほどまでに一匹の羊の価値は羊飼いにとって大きく、他に代えがたい羊なのです。その理由は、ひとえに、ただ、この迷い出した一匹の羊が、羊飼いのものであり、羊飼いにとってかけがえのない大事な宝のような羊である、ということにしかありません。

 私たち一人一人も神さまのものであり、神さまにとってかけがえのない愛する子供です。だからこそ、私たちが失われ滅びるのではなく、豊かな命を得て生きるために、神さまは大事な一人子であるイエス様を羊飼いとして私たちのもとに送って下さいました。

 自分はいったい何者なのか、自分に価値はあるのか、生きる意味はあるのか。そのように問いながら生きる私たちが、今ここでこれからを希望をもって生きていくことを始めていくために、自分が神さまのかけがえのない子供であり、イエス様に探し出され、見つけ出され、背負われている羊であり、神さまに愛され、祝福されている存在である、そのことを受け入れていくことが必要です。

 一人一人が神さまに愛され、探し出され、背負われている羊であり、互いにそのような羊として受け入れ、大事にして、仕えていく。それが私たちの教会の歩みなのです。