東京主僕教会の最近一か月の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。

2017年10月22日礼拝説教要約

「神のものは神に返しなさい」マタイ22・15-22


 2012年、シェークスピアの作品に登場する「リチャード3世」の遺体が発掘されました。DNA鑑定が行われると、その正しい子孫が、それまでの公式の家系図の子孫ではなく、ソフトウエアのエンジニアをしている男性であることが判明しました。もし、自分が、同じように、突然、昔の有名な王の子孫であると判明したら、どうで

 しょうか。家の部屋の中にいても背筋をピンと伸ばして歩くようになる。奥さんを王妃や女王のように見なして接するようになる。飼っている動物、ペットでさえ、「王子」、「プリンス」と呼ぶようになるかもしれません。同じように私たちも一人一人も王の一族に連なっているのです。

 「皇帝に税金を収めるのは、律法に適っているでしょうか。適っていないでしょうか」。もし、律法にかなっていると答えるなら、ユダヤを占領しているローマ帝国に味方していることになり、イエス様は人々の反感を買うことになります。もし、律法にかなっていないと答えるなら、ローマ帝国への反乱罪として訴えられ、逮捕されることになります。イエス様はこの問いに答える前に、人々に「税金に納めるお金を見せ」るように言われ、「これは誰の肖像と銘か」と問われます。この銀貨はローマの銀貨であり、ローマ皇帝の顔が刻まれていました。ユダヤの人々にとっては、自分たちの国、自分たちの土地がローマ帝国によって力づくで占領されており、従わないのなら殺されてしまうことを思い起こさせるものでした。

 イエス様は「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言われます。この言葉は、皇帝は神と並ぶ存在であるということではありません。私たちの人生には皇帝に従うべき部分と神に従うべき部分の二つの領域があると言われているのでもありません。イエス様にとって、手元にある銀貨を触れば思い出すのは、その銀貨に刻まれているローマ皇帝ではなく、それ以上に大事なこと、ご自分も、私たち一人一人も、神にかたどって創造されている、神の像が刻印されている、ということです。

 私たち一人一人は神にかたどって創造されています。昔のコインに皇帝の像が刻まれているように、私たちに神の像が押されているのです。どんなに罪深く、どんなに汚れた自分に思えても、どんなに意味のない、どんなに空しい存在に思えたとしても、真の神の像であるイエス・キリストによって贖われ、神のものとされ、神の像が回復されているのです。

 全てのものは神のものであり、私たちも一人一人神のものです。全ては神さまから貸し与えられています。私たちの命も、家族も、空気も、水も、食べ物も、お金も、どれ一つとして私たち自身のものではありません。全ては地上で生きている間、神さまから貸し与えられ、託されているものです。大事なことは、全てのものを神さまから貸し与えられ、託されていることを受け入れることであり、その託されているものを神さまのために用いていくこと、神さまの愛の配慮をもって、神と人、この世界に仕えていくことです。神のものを神に返していく。それは神の賜物の管理人(スチュワード)として仕えることであり、自分を神さまに委ねていくことから始まるのです。