東京主僕教会の最近一か月の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。

2017年11月12日礼拝説教要約

 「備えよ、常に(Be Prepared)」。ボーイスカウトのモットーとして世界的に有名な言葉です。よいスカウトであるならば、起こりうるすべてに対処していく備えをいつもしていなければなりません。例えば、キャンプ旅行に行く時には、起こりうるあらゆ

  る事態を考えて、それに必要な装備を全てもっていきます。もし夜の間キャンプをするのなら、闇の中でも見ることができるように、ランタンやライト、そしてそのための燃料や電池の準備を抜かりなくしていきます。今日の聖書のイエス様のみ言葉も、私たちがいついかなる場面に遭遇しようとも、いかなる事態が起きようとも、そのことを乗り越えていく大きな力となるように語られた励ましの言葉なのです。

 このたとえ話で、おとめたちはランタン、ともしびを灯して、花婿を迎え、花嫁が花婿の家に着くまで、その行列のために灯で道を照らす役割を担っています。けれども、花婿の到着が思いがけず遅れてしまいました。それで、眠りこんでしまいました。でも、問題は油断して、体力の限界、身も心も疲れ果て、眠りこんでしまったことにあるのではありません。問題はともしびを灯し、高くかかげていくために、そのための油の十分な備えをしていなかったことにあるのです。

 この花婿はイエス様を指しています。2000年前に来られたイエス様は、もう一度将来、この世界に来てくださることを約束してくださいました。しかし長く信仰を持っている人でさえ、つい、本当だろうかと疑ってしまう教えであり、そのことが教会の歴史の中で起こってきました。だからおりあるごとに聖書から考え、確かめていかなくてはいけません。

 もし、イエス様が将来、もう一度来て、イエス様が始めてくださった神さまの救いを、この世界に、私たちに完成して下さらないとしたら、いったいどうなるのでしょうか。そのことを信じなければ、諦めていくものがあるのです。それは私たちの未来についての希望であり、そしてこの世界の全ての人々の未来についての希望です。もし、イエス様が再び来られ、神の国、神さまの愛と正義、平和をこの世界に完成して下さらないとしたら、それはどういうことなのでしょうか。この世界の運命の全ては、人間の手にかかっていることになります。不正、残酷さ、非情さが、この世界を、私たちでさえ支配して終わってしまうのです。

 しかしイエス様が再び来られる時、その全ては変わるのです。最終的な決断、判断を下し、裁かれるのはイエス様です。将来はこのイエス様のものであり、私たちではなくイエス様の手にあります。だからこそ希望があるのです。そしてこの花婿のように、真夜中、最もつらい、最も苦しいと思える時、闇が最も深いと思える時にこそ、目に見えないイエス様が私たちを見捨てずにいつも共にいてくださり、この終わりの大きな喜びへと導いてくださっています。

 このイエス様を信じ、心に迎えていく時、この後の譬えのように、帰ってくる主人に希望をもって、与えられた賜物をもって仕えていく。そして、その後の譬えのように、最も小さな者にしてくれたことはわたしにしてくれたことなのだ、というみ言葉に従って、神と人に仕え、油を備えていくことができるのです。

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