東京主僕教会の最近一か月の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。

2017年12月24日クリスマス礼拝説教

「闇から光へ」ルカ2・8-20                  

 

 今年は一昨日の12月22日の金曜日が「冬至」で、今、一年中で一番夜の長い時期を迎えています。今日はクリスマス・イブ、明日の25日がクリスマスになります。クリスマスは救い主イエス・キリストのご降誕を祝う日ですが、イエス様がこの日に本当に生まれたのかどうかはわかりません。

  それではなぜ、この時がクリスマスの日として選ばれたのでしょうか。それは「光は暗闇の中で輝いている」、夜が最も長く、闇が最も深くなるこの時期にこそ、闇の中に私たちを照らす光として来てくださったイエス様をお祝いすることがふさわしいからです。どんな闇の中にあっても、光によって、希望の光によって照らされていること、闇から光の中へ招かれていることを知ること、それがクリスマスなのです。

 世界の最初のクリスマス・イブの夜、パレスチナベツレヘムの野原で、この光に最初に照らされたのは羊飼いたちでした。「恐れるな、わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日、あなたがたのために救い主がお生まれたになった。この方こそ、主メシア・救い主である」。羊飼いが最初にこのイエス様の誕生を知らされたのは、特に神さまを深く信じていたからではありません。羊飼いは夜通し、羊の世話をしなければなりません。だから他の人々とは違った忙しい生活を送らざるを得ませんでした。他の人々のように神殿で犠牲もささげることもできませんでした。人からは軽蔑され嫌われる。生活も貧しく豊かではありません。そしてローマ帝国の人口調査の命令は羊飼いには下されませんでした。人としてカウントされず、無きに等しい・価値のない人間として見なされたのです。孤独を抱え、悩み、人を恐れ、不安の中で疲れている。それが羊飼いでした。彼らは自分たちを神様から遠く離れた者と思っていたとしても不思議ではありません。神様に見捨てられ、嫌われている。人生を諦めたい、そう思っていたかもしれないのです。しかし、だからこそ、その羊飼いに神さまのまなざしが注がれて、神さまに探し出され、招かれて、救い主に出会う喜びを与えられたのです。私たちも闇の中から光へと導かれ、神さまに探し出され、招かれているのです。

 けれども、羊飼いの物語はこれで終わりませんでした。羊飼いが天使に出会って、神の光に照らされて、去っていったのではありませんでした。この羊飼いたちに、「恐れるな」、この恐れないで良い根拠として、羊飼いたちに示されたのが、「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」です。しかし、なぜこの後天使たちの歌声を聞いた羊飼いたちは帰らずに、素直に、天使の言葉に従っていったのでしょうか。考えられないすばらしい出来事に遭遇した、だから行って見てみよう、というのもわかります。しかし、考えてみると、ここにはもう一つメッセージも読むことができます。

 こういう絵本の話を読んだことがあります。一ページ目にはかわいい少年の帽子をかぶった顔だけが描かれています。さらに次のページを見ると、その少年が友達と座っているところでした。三ページ目には、彼らが船に乗っていることがわかります。しかし、次のページをめくると、実はそれは扇子に描かれた絵であり、ご婦人がその絵が描かれた扇子を持ってあおいでいる姿でした。さらに次のページをめくると、ご婦人のいる所は、実は飛行機の中でした。事件の真相を解明していく刑事のようですが、つまり、この絵本がメッセージとして伝えているのは、私たちの見るところはほんの一部分であり、実は思いもつかない大きな世界の一部分であるということです。顕微鏡で小さなものをいくら研究してもわからないことがあります。人生も何か起きた時、その都度都度、そのことだけで考えてもわからないことがあります。困難な状況や予期しない出来事に遭遇すると、ふとそこをじっと見つめ、さらに顕微鏡で見るかのように、わずかな一部分が全体であるかのように思えて、落ち込むことがあります。しかし、その時に大局的な目、全体像のような大きな視点からとらえていく時、そこから、どんな出来事も意味や価値を見出すことができるのです。

 羊飼いたちも、この時、救い主があなたたちのためにお生まれになった、という言葉を聞いた時、そこで判断して終わるのではなく、さらに事の真相を突き止めるために、天使たちの言葉に従ったのです。そうして探し出したのが「飼い葉おけに寝かせてある乳飲み子」でした。その幼子、共にいてくださる神との出会いが、日々の生活を生きていく時の大事な視点、大きな全体といえる視点となったのです。イエス様は、王宮の目を見張るような黄金のゆりかごに生まれたのではありませんでした。羊飼いも来やすい馬小屋の飼い葉おけに生まれたのです。「センス・オブ・ワンダー」という言葉があります。自然の中に出かけ、自然の神秘さ、不思議さに目をみはる感性を育み、分かち合う大事さが言われます。この時、羊飼いたちが飼い葉おけに行って知った神秘、不思議さは、クリスマスの神秘、不思議さは、本当に神さまが人間となって、この地上に来て下さったこと、そして自分のような者と共にいてくださる神である、ということです。神はどんな時も諦めず愛して共にいてくださる神であるということです。

 神さまはすべての人を愛しておられます。だから、イエス様はそれを伝えるために、ろうそくの火のように、自分を燃やしながら周りの人に温かさと熱を、神からの愛を伝えていきました。それは地に平和を願う、神のみ心を映し出した歩みでした。私たちには悩みがあり、心配ごとがあり、不安があります。けれども、神さまはどんな時も、いつも私たちを見捨てずに、愛し、そばにいて導いてくださいます。聖書の迷った一匹の羊を探し出し、背負い、連れて帰る羊飼いのように、私たちは探し出され、背負われています。私たちのすべての痛み、悩み、苦しみを分かち合い、私たちを背負い、私たちの手をとって、導いてくださいます。どんな困難があっても、神は必ず逃れる道を備え、導いてくださいます。だから、どんなことがあっても大丈夫だ、と言えるのです。このクリスマス、どうかこのことを心に覚えていただきたいのです。私たちは人生を見るための大きな全体、大きな視点を与えられているのです。

 飼い葉おけに眠っている救い主を見つけだした羊飼いたちは、神さまに用いられ、このイエス様の誕生を人々に知らせ、天使たちの言ったことは本当だった、と喜んで帰っていきました。神さまのことを伝えていくものとして用いられたのです。それからの羊飼いたちの生活は、何か特に大きな変化があったかというと、そうではありません。けれども、神さまが共にいてくださり、神さまの働きに用いられていることを知ったのです。どんな小さな働きも、神さまの働きに加えられている、そのことで、希望を与えられていったことは確かです。

 『ルワンダ 闇から光へ 命を支える小さな働き』(竹内緑著)という本があります。看護師としてルワンダなどのアフリカの難民キャンプに行って働いている人の話です。その本にこういう言葉があります。「永遠という時間の中で神さまの働きは続けられていきます。線が点で構成されているように、一点にすぎない私の働きも神の働きに加えられていくことの喜びがあります。小さな働きであっても失望することがなかったのはこれらによるものと思っています」。私たちの働きがどんな小さな働きであったとしても、その小さな働きは神さまの働きに加えられていく喜びがあるのです。だから、失望しても、そこで希望をもって歩んでいくことができるのです。

 今朝、神さまは私たちも探し出し、見捨てずに、私たちを愛して共にいてくださいます。私たちの小さな働きを神さまの働きに加えてくださいます。人生を見る、この大きな視点を私たちは与えられています。このことを信じ、神さまを賛美して歩んでいきたいと思います。闇から光へ、私たちも大きな希望を与えられているのです。