東京主僕教会の最近一か月の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。

2018年1月7日礼拝説教要約

「主によって喜び祝え」詩編33編

 歌には人を元気にし、力を与える不思議な力があります。人を癒し、幸せな気持ちにする不思議な力があります。疲れた時や大変な時など、また何かをする時など、好きな歌を聴いたり、歌ったりして、元気を与えられ、勇気を与えられる時もあると思います。

  この詩編33編も旧約の時代のイスラエルの人々の新年の祝い、礼拝で歌われてきた歌とも言われています。けれども、この詩編は何も不安がないところで生まれたのではありません。神を信じていたのに、破れの中を歩かなければならない。自分ではどうすることもできない破れ、立ち直れない失意の中にある。自分には呻きと不安、つぶやきと妬みと愚痴しか見いだせない。しかしそう思っていたのに、主を仰いでいく時、確信と希望を与えられ、賛美するものに変えられていく。それが詩編であり、「新しい歌」を歌うことなのです。


 しかし、この歌の歌詞であるみ言葉を読んでいくと、「正しい人」という言葉があり、自分を見つめるなら、正しい自分であると神に胸をはって言うことはできません。しかし、この一年、そのような者を繰り返し招き、導いてくださり、「正しい心」、神に対するまっすぐな心を回復し、希望を与えるのが主のみ言葉です。


 この一年の新しい歩みを始めていく私たちが繰り返し見つめていく大事な言葉があります。5節と18節、22節の「慈しみ」という言葉です。神の人間に対する契約、約束を守る愛、神の永遠不変の愛を表す言葉です。32編6節では、罪の赦しを指して、そこに神の愛、慈しみが現れていると言いますが、33編ではさらに進んで、地、この世界に慈しみ、神の愛が満ちている、それが賛美できる理由なのだ、というのです。しかし、どうしてそう言えるのでしょうか。


 「主が仰せになると、そのように成り、主が命じられると、そのように立つ」。天地創造に働いた主のみ言葉の偉大な力を思い起こす時、その主の力が全てのものを愛のうちに完成していくために今も働いていることを見るのです。「主の企てはとこしえに立ち、御心の計らいは代々に続く」。この一年、何が起こるのかはわかりません。けれども確かなことは、どんなものも天地万物を創造し完成させていく神の愛の御心を妨げることはできないことであり、何があっても神がこの世界を責任をもって支配しておられ共にいてくださることです。だから、この世界に希望をもつことができるのです。


 そして、この世界に働いている神の大きな慈しみ、神の大きな愛がまさにこの自分に注がれて、神の恵みが支配しています。私たちを愛し配慮し、私たちを救い、命を与えてくださっています。神の支配がどこにあるのか、と思える時があります。しかし、神の支配を見出し、希望を与えられるのは、自分に注がれている神の慈しみ、神の愛を見つめていくことによります。キリストの十字架によって共にいてくださる神の愛を知らされ、そこに神の支配があり、希望があることを知らされるのです。


 礼拝で主と出会い、主の愛を見出し、主を喜び祝い、賛美し、主を待ち望んでいくこと。それが私たちのこの一年の力の源です。この朝、十字架に示されている神の愛に希望をもって歩んでいきたいと思います。