東京主僕教会の最近一か月の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。

2018年3月11日礼拝説教要約


「ペトロのあやまち」マルコ14・66-72

 最近放映されている『anone』というドラマは、家もなく家族からも見捨てられた孤児の女の子が主人公の物語です。

 ネットカフェでバイトしながら暮らしていた居場所のない女の子にとって、唯一の拠り所は8歳から12歳まで一緒に過ごした、全てを受け入れてくれる優しい祖母の思い出でした。しかし、その自分の拠り所、居場所としてきた美しい思い出が、実は施設で虐待されていたことを忘れるために、自分で気づかずに捏造していた物語だったことが分かったのです。


 過酷な現実に立ち向かいながら、そこで支えられ、乗り越えていくためには、自分が本当にホッとして心が安らぐ場所、自分が受け入れられ支えられているという安心感をもたらす居場所が必要です。イエス様とその弟子のペトロの物語は、私たちの一番の居場所はどこにあるのかを教えられます。


 ペトロは、ガリラヤで漁師をしていた時にイエス様に出会い、すぐにイエス様に従って旅を始めていきました。「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」。ペトロにとって、イエス様こそが自分の居場所だったのです。


 けれども、イエス様が逮捕され、当時の裁判官である大祭司の前に連れていかれると、弟子たちは皆、イエス様を見捨てて逃げてしまいました。しかし一人勇気を出して引き返してきたペテロを思いがけない展開が待ち受けていました。「あなたもあのナザレのイエスと一緒にいた」。ペトロは咄嗟に質問をはぐらかし、否定して、自分を守ろうと本能的に思い、出口に向かいますが、もう一度問われ、その時も否定します、最後に周囲の人々から問われた時、「あのイエスの仲間であるなら、この身が神に呪われる者となっても構わない」と決定的にイエス様を否定したのです。そして、イエス様の言葉を思い出し、自らの情けなさ、弱さ、罪深さを思い、悔い、繰り返し泣き続けていったのです。


 イエス様を裏切ったユダも後に激しく後悔しました。けれども、そのユダは自殺します。しかしペトロはそうではありませんでした。その違いは、イエス様のみ言葉から思い出して考えていることにあります。イエス様の短いみ言葉から、イエス様はペトロがご自分を否定し、自己崩壊してぼろぼろになることを知っておられたこと、それでもなお、その弱い自分、破れと欠けのあるペトロを見捨てないこと、赦し、受け入れて、支えて、共にいてくださっていることを知ることができるのです。それは今に始まったことではなく、イエス様と出会った時から、そうだったのです。


 このイエス様の愛の御心を思い起こしながら、自分の弱さ、自分の罪を嘆き、悲しんでいく。それがペトロ、そして私たちの新しい人生の出発になっていきます。災害が起こる時代、様々な困難に直面していく時、イエス様が私たちと共に苦しみ、ペトロのような弱く罪深い私たちも愛し、赦し、受け入れ、支えて、共にいてくださっていること。そこに私たちの居場所があり、イエス様によるこの神の変わることにない愛と赦しこそ、困難を乗り越えていく力となるのです。教会はこのイエス様の恵みを分かち合う場所なのです。