東京主僕教会の最近一か月の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。

2018年5月13日礼拝説教要約

「悪い者から守ってくださるように」ヨハネ17:11-19 


 ドイツの有名な画家アルブレヒト・デューラーの「祈りの手」という作品があります。両手を合わせた手首だけの絵ですが、このような逸話があります。デューラーは若い頃大変貧乏で、友人と二人で絵の修業をしていた時、互いに約束を結び、一人が絵の修業に打ち込めるように、もう一人が働いて生活費を稼ぐことにしました。

  そして、数年経ちデューラーの評判が高まると、「今度は私が働いて、君が絵に打ち込めるようにしよう」と申し出たのですが、その時には友人の手は長い間の激しい労働で、もはや絵筆(えふで)をもつにはあまりにも節くれだち、繊細な筆遣いのできる手ではなくなっていました。どんなに自分のために犠牲を払っていたのかを知るのです。そして友人が部屋で祈っている声を聞いたのです。その節くれだった両手を合わせ、デューラーのことを感謝して祈り、思うように描けなくなった自分のために苦しまないように、デューラーにこれからも神さまの祝福と守りがあるように一生懸命祈りを捧げていたのです。デューラーは、その友人の祈りの手に支えられ、生かされていたのだと感動し、その手を永久に残そうと筆をとって生まれたのが「祈りの手」という作品でした。

 私たちも一人一人、「祈りの手」によって生かされ、守られ、支えられています。それがイエス様の私たちのための祈りです。イエス様がこれから捕らえられ、十字架で死なれ、復活し、神さまの御許に行こうとされる時、これまでは一緒にいて助け、支えてきた弟子たちが残されてしまうことを心配し、「悪い者から守ってください」と祈られました。

 「悪い者」とは私たちを神様から離れさせようとする一切の悪い力です。人間関係のこじれ・破れ、病気、戦いや争い、苦しみや嘆き、悲しみ、迫害など、どれも私たちを神様から離れさせる力を持っています。私たちは絶えず、神さまから引き離そうとする様々な悪い力に脅かされています。イエス様はそのことを御存知で、弟子たちのため、そして私たちのために祈られるのです。そして、この後、イエス様から離れた弟子たちが再びイエス様に出会い、イエス様が神さまのもとに戻られた後も力強く一緒に歩んでいくことができたのは、このイエス様の絶えざる祈りに父なる神さまが答え、弟子たちをイエス様へと導き、弟子たちを守り、支え、生かしてくださったからです。

 「彼らを聖なる者としてください」とあります。私たちが神さまのものとされて、神さまのものとして、神さまの御用のため、神さまの栄光のために生きる者となるようにという祈りです。そのことを実現するためにイエス様は「彼らのためにわたしは自分自身をささげます」と言われ、十字架で死なれたのです。

 私たちは祈れない時にも、この私たちのためのイエス様の祈りによって、どんな時も神さまに守られています。聖なるもの、神さまのものとされている、神さまのものとして、神さまに支えられ、生かされ、用いられるものとされている、そのようにして守られているのです。祈れない時にも礼拝でこのイエス様の祈り、そして聖霊の執り成しの祈り、そして人々の祈り、この「祈りの包囲網」の中に自分があることを発見する時、勇気を出して歩むことができるのです。