東京主僕教会の最近の説教など

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2018年8月5日主日礼拝説教要約

「キリストは私たちの平和」エフェソ2:11-22

 

 8月は戦争と平和の問題について考える機会を与えられる時です。なかなか平和な世界が実現しない理由。その大きな根本的原因の一つは「敵意という隔ての壁」にあります。平和はそれを取り壊されることから始まるのです。平和を実現するためには「敵意という隔ての壁」が取り壊されなければならないのです。人種や民族、国、あるいは貧富の差。地位や身分、男か女かという隔ての壁。その隔ての壁は、自分とは離れた、この世界の場所にあるだけではなく、身近なところ、そして私たちの中にもあるのです。

  けれども、将来、必ず、その「敵意という隔ての壁」が取り除かれていく希望を持つことができるのです。その壁は、すでに救い主イエス・キリストの十字架によって取り壊され、平和を完成するために今も生きて働いておられるからです。

 今日の聖書のみ言葉によれば、戦争、憎しみ、争いの現実から抜け出す道、平和への道は、イエス・キリストの十字架の血によって与えられています。このエフェソの信徒への手紙が書かれた時、生まれたばかりのエフェソの教会の中には大きな壁が存在していました。それは、ユダヤ人出身のキリスト者と異邦人出身のキリスト者との間の壁であり対立でした。当時、ユダヤ人にとって、異邦人、ユダヤ人ではない人は救われるはずのない存在でした。反対にユダヤ人以外の人にしてみれば、聖書の神というのは、自分とは関係のない神でしかありません。神に対する敵意をもって生きていた、と言えるかもしれません。ユダヤ人と異邦人は互いに仲違いし、遠い存在、自分とは関係のない存在だったのです。

 けれども、まさに互いに遠い存在であり、仲違いし、自分とは関係のない存在だったものが互いに近い存在にされました。14節「実に、キリストはわたしたちの平和であります」。神の御子イエス・キリストが、ご自分の十字架の死によって、ユダヤ人も異邦人も分け隔てなく受け入れ、十字架によって両者の敵意を滅ぼされたのです。一人一人の神への敵意、その罪を赦し、神と和解させ、神の愛する子供として、神が共にいてくださる神の平和の中に両者を置かれたのです。一人一人がキリストの体、神の大きな家族の一員とされ、聖なる神殿、キリストを表していく教会を一緒に形作るようにされていくのです。キリストによって、私たちは神様との間に平和を与えられ、人と人との間においても平和を与えられる。それが、イエス・キリストにおいて与えられている神の恵の現実であり、それが具体的に目に見える形で確かにこの世界に現れているのが教会なのです。

 十字架で死なれ、復活されたイエス・キリストによって、神を憎んでいた者に愛を与えられ、赦しを与えられ、信頼する心を与えられ、真理を示されていく。闇の中で光を与えられ、悲しみの中で喜びをもたらされる。神によって慰められ、愛され、人を慰め、愛する者に、神の平和の道具とされ、与えられた務めに生きる者とされていく。神の平和の道具とされて、一人一人与えられた場所で、一人一人の仕方で歩んでいく。そこに人生の充実した歩みもあります。だから、私たちの人生にはこの神の平和がいつも必要なのです。そのために礼拝を大事にして歩んでいただきたいと思います。