礼拝情報は下記にあります。
【1】礼拝順序
《 前 奏 》
《 神の招き 》
招きの言葉(起立) アモス書5章24節
讃 美 歌(起立) 21-17
《 罪の告白 》
罪の告白の祈り(起立) 交読詩編 詩編32編
主よ、あわれみを(起立) 21-32(2回)
《 神の言葉 》
聖霊の導きを求める祈り
聖書朗読 ヨシュア記24章22-24節、マタイによる福音書25章1-13節
讃 美 歌(起立) 21-230
説 教 「消えないともしび」
《 感 謝 》
執り成しの祈り
讃 美 歌(起立) 21-509
信仰告白(起立) 使徒信条
奉 献
主の祈り(起立)
《 派 遣と祝福 》
頌 栄(起立) 21-24
派遣の言葉(起立)
祝 福(起立)
《 後 奏 》
*健康上お立ちになりにくい方は着席のまま礼拝をお守り下さい。
【2】聖書朗読
ヨシュア記24章22-24節
22 ヨシュアは民に言った。「あなたたちが主を選び、主に仕えるということの証人はあなたたち自身である。」彼らが、「そのとおり、わたしたちが証人です」と答えると、
23 「それではあなたたちのもとにある外国の神々を取り除き、イスラエルの神、主に心を傾けなさい」と勧めた。
24 民はヨシュアに答えた。「わたしたちの神、主にわたしたちは仕え、その声に聞き従います。」
マタイによる福音書25章1-13節
1 「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。
2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
3 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。
4 賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
5 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。
6 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
7 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。
8 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』
9 賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
10 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。
11 その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。
12 しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。
13 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。
【3】説教
先ほど歌っていただいた讃美歌21の230番「目覚めよと、呼ぶ声す」の歌詞は今日のマタイによる福音書の御言葉から生まれています。16世紀後半、ドイツでペストが猛威を振るい、人間の力ではどうすることもできない圧倒的な暗闇に人々が直面していた時代に、フィリップ・ニコライによって作詞・作曲されました。ニコライは、アウグスティヌスの名著『神の国』を読み、深い慰めを受けたと言われています。私たちが生きるこの世界にも、災害や戦争、病気や死、悲しみ、そして人間同士の争いや不条理な不正義が満ちあふれています。しかし、復活し、天に昇られたイエス・キリストは、再びこの世界に来てくださいます。そして、すべてを正しく審き、癒やし、回復してくださいます。もはや涙も、嘆きも、痛みもない「神の国」を完成してくださいます。だからこそ、イエス・キリストが再び来てくださることは私たちの大きな希望です。この世界と私たち一人ひとりを決してお忘れにならず、必ずご自身のもとへ迎えてくださり、救いの完成の約束を実現してくださる。ここに私たちとこの世界の最終的な目的地があります。この希望こそ、今苦難のなかにあっても支えられていくための確かな力となります。待降節を目前にした教会暦の終わり、一年の終わりを迎えていく時、世の過ぎ去るものに心を向けるのではなく、イエス・キリストに心を向けて、希望をもって主の再臨を待ち望んでいく姿勢を整えていくのです。
主イエスは、ご自身が再び来られ、神の国が完成するときに備えて、どのように生きるべきかを「十人の乙女のたとえ」によって語られました。夜の闇の中で花婿を迎えるため、灯火を掲げて待っていた十人の乙女たち。しかし、花婿はいつ帰ってくるのか分かりません。その日、その時は分かりません。花婿の到着が真夜中まで遅れたため、彼女たちは皆、眠り込んでしまいました。ここで心に留めたいのは、主イエスが、疲れ果てて眠り込んでしまった乙女たちの弱さや限界を咎めておられないということです。主は、私たちの肉体の弱さや限界を誰よりもよくご存じです。暗闇の中で疲れ果て、眠り込んでしまう人間の姿を、主はよく理解しておられます。では、何が五人の「賢い乙女」と五人の「愚かな乙女」を分けたのでしょうか。それは、花婿の到着が遅れ、長い夜が続くことに備えて、予備の油を壺に用意していたかどうかでした。賢い乙女たちは予備の油を持っていましたが、愚かな乙女たちは用意していませんでした。いつ来ても迎えることのできる備えを整えていませんでした。
このたとえにおける油とは一体何でしょうか。油を使って灯していく光。5章14節に「あなたがたは世の光である。16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」という御言葉があります。世の光として歩んでいくための油と考えることもできます。この後に二つの有名な譬え話が続きます。世の光として、賜物をもって神に仕え、隣人に寄り添い仕えていく譬えです。その二つを生み出していく土台。それが神との交わりに生きることです。神に祈り、み言葉に聴き、神との交わりに生きる。この譬え話の油は、他の人から借りて済ませることのできない、一人ひとりの神さまとの生きた関係を表しています。神さまの前に立ち、主イエスを「私の主、私の救い主」と仰いで生きることは、誰かに代わってもらうことはできません。油を備えるとは、神さまに祈り、恵みの御言葉に聴き、ご自身を差し出してくださったキリストとの真実な交わりに生きることです。
私たちが地上の生涯を歩む時、困難を避けることはできません。イエスさまは、ゲッセマネの園で苦しみ、十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。それは、主イエスご自身が、人間の痛み、罪や苦しみ、喪失、そして神の臨在さえ見失われたかのような絶望の暗闇を、私たちに先立って通り、引き受けてくださったことを意味しています。主は、私たちの罪、悲嘆、死の恐怖を、ご自身のものとして背負ってくださいました。その主の十字架と復活によって、私たちにご自身の義と聖さ、そして神の愛する子どもとして生きる特権を、無償で与えてくださったのです。この素晴らしい交換によって、神の愛する子どもとされています。将来完成する神の国の子どもであり、未来に到来するキリストのものです。ただこの世の現実に属するのではなく、再び来られる主のもとにある新しい神の国に属する者です。だからこそ、世界や人生の暗闇に直面しても絶望せず、主の再臨を恐れではなく、「父なる神のもとへ帰る喜び」をもって待ち望み、来るべき神の国を先取りして、神を愛し、隣人を愛して歩んでいくことができるのです。
「わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです」。ヘブライ書6章19節の御言葉です。 荒れ狂う海の嵐の中でも、船が流されないように海底へ錨を下ろすように、人間の魂も人生の困難や不安の中で、神による確かな約束(希望)によってしっかりと支えられる。その希望は、至聖所の垂れ幕の内側に大祭司として、先駆者としてそこに入って行かれたイエス・キリストにあります。私たちの希望は天にある神ご自身としっかり結ばれています。私たちは、イエス・キリストによる神の救いと慰めの物語の中に固く受け止められています。礼拝は私たちの人生の物語がキリストの救いの物語の中に組み入れられていることを知り、決して押し潰されることのない希望へと接続される時です。こうして主の日に共に集い、神の恵みのみ言葉を聴き、祈りを合わせ、十字架と復活の主を仰いでいくとき、私たちの空になっていく心の壺に、新しい恵みの油が豊かに注がれます。神に愛されているものとして、主との生きた関係を取り戻し、心に希望の火がともされます。この神の愛は決して途切れることがありません。新しく始まる週も、主イエスとの真実な交わりに生かされながら、世の光として希望の灯火を高く掲げて歩んでいきたいのです。
【4】説教後の祈り
終わりの日に救いを完成するため、再び来てくださる神さま。私たちの罪と悲しみをご自身で引き受け、永遠の命と「神の子」の特権を与えてくださった主イエスの深い愛に、私たち自身を委ねます。来るべき神の国に属する者として主との交わりに立ち、日々の礼拝で恵みの油を注がれながら、遣わされた場所で希望の光を掲げて歩むことができますように。
慈しみ深い神さま。あなたは私たちの祈りを聞き、御心を行ってくださいます。今、希望を見失い、孤独や不安の中にある人々のために祈ります。悲しむ人に慰めを、弱っている人に支えを、苦しみの中にある人に確かな希望をお与えください。正義の神さま。あなたは私たちの目を開き、この世界にある不正や苦しみを示してくださいます。生活に不安を抱える人々、仕事を失った人々、将来への道を見いだせずにいる人々を顧みてください。憐れみの神さま。病の中にある人々、心や体に痛みを抱える人々、そして日々の介護や看病に励む人々を覚えます。どうか豊かな癒やしと力を与え、失われかけた希望を新しくしてください。医療や福祉に携わる人々を支え、その尊い働きを祝福してください。平和の神さま。戦争や暴力、分断と憎しみの絶えない世界を憐れんでください。家を追われた人々、不安の中で暮らす人々、争いの犠牲となっている人々を御手をもって守ってください。世界の指導者たちに知恵を与えて平和と正義の道へと導き、また私たち自身も、平和をつくりだし、あなたの愛を表す者として歩ませてください。
この世界にあなたによって建てられている全ての教会、そして私たちを強め、主イエス・キリストを再臨を希望をもって待ち望み、み言葉によって油を満たされ、あなたに信仰と希望と愛をもって仕え、あなたの光を掲げていくことができるように助けてください。
この時、私たち一人一人が心にかかっている、心身に病、痛みや疲れ、不安を抱えている方々に癒しと希望をお与えください。特に入院している人々、施設にある人々、孤独の中にある人々を守り、お支えくださり、助けてください。日曜学校に連なる生徒たち、そのご家庭を祝福し、導いてください。この礼拝を覚えながら、様々な事情で来ることのできなかった方々を顧みて下さい。ここにおられる全て人々、心に覚えるすべての人々を祝福の内に導いて下さい。今私たちの心の中にある全ての祈りを顧み、憐れんでください。
この祈りを世の終わりまで私たちに近くいまし、共にいてくださる主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン