東京主僕教会の最近の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。なお、礼拝音声は諸事情により、しばらくの間おくことにしていますので、ご了承ください。

2024年12月1日礼拝

 

 

****礼拝情報は下記にあります****

【1】礼拝順序

   

神の招き

招きの言葉(起立)           ローマの信徒への手紙13章11節

讃 美 歌(起立)           97

罪の告白

罪の告白の祈り(起立)    交読詩編 詩編25編

主よ、あわれみを(起立) 21-31

恵みの言葉(起立)           ヨハネによる福音書3章16節

神の言葉

聖霊の導きを求める祈り

聖書朗読            エレミヤ書33章14-16節

                          ルカによる福音書21章25-36節

讃 美 歌(起立)      21-243

説   教                    「神の言葉は決して滅びない」

感  謝

執り成しの祈り

讃 美 歌(起立)           284

信仰告白(起立)             ニカイア信条

聖 餐 式                    21-79

奉   献

主の祈り(起立)

派遣と祝福

頌   栄(起立)           544

派遣の言葉(起立)

後  奏

*健康上お立ちになりにくい方は着席のまま礼拝をお守り下さい。

 

【2】聖書朗読

エレミヤ書33章14-16節
14見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。 15その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。 16その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう。

ルカによる福音書21章25-36節
人の子が来る
25「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。 26人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。 27そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。 28このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」
「いちじくの木」のたとえ
29それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。 30葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。 31それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。 32はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。 33天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
目を覚ましていなさい
34「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。 35その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。 36しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」

 

【3】説教

「神の言葉は決して滅びない」ルカ21・25-36  

 今日から教会の暦ではアドベント待降節に入りました。アドベントという言葉はラテン語の「アドベントゥス」に由来していますが、「到来」を意味しています。27「その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを人々は見る」。かつて来られた主イエスが、終わりの時にもう一度来てくださる。主イエスの再臨を待ち望んでいく時が待降節です。しかし、イエス様は終わりの時を「崩壊する世界」として語られます。古代の人々にとって、「太陽と月と星」、天体は不変なものの象徴であり、何によっても揺り動かされるはずのないものでした。けれども、確かなものとして信頼していたものが崩壊する。海がどよめき、荒れ狂い、混沌として、不安と恐怖で人々は包まれる。この御言葉を読む時に、戦争や災害、地震、この世界で起こっている出来事、私たちの人生にも訪れる病や死の現実が思い浮かびます。けれども、この世界と私たちに対して起こる恐ろしい出来事で全てが終わるのではありません。28「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ」。救いがない、ここで終わりだと思わざるを得ない。けれども、そこで絶望しないでよい、希望をもつことができるのは主イエスが再び来て、救いを完成して下さる、そこに人生の最終地点があるからです。この待降節の始まりは、主イエスがもう一度来てくださり、救いを完成してくださる、この未来に向かう大きな神の救いの歴史、神の救いの物語に連なるものとして人生を見つめ直していく時です。どんな時にも終わりではないという希望があるのです。

 主イエスは「人の子が大いなる力を帯びて雲に乗って来る」と言われました。主イエスが最初に来られたクリスマスの時、主イエスは何の力も持たない無力な小さな赤ん坊として、しかも貧しい夫婦の間に生れ、飼い葉桶の中に寝かされました。その日、救い主が生まれたことは、ほんの僅かな人々を除いて、誰も知りませんでした。けれども、主イエスがもう一度来られる時の様子はそれとは全く違います。「大いなる力を帯びて」来られます。その「大いなる力」とは神としての力です。神としてこの世界の全てを支配し、そして全ての人々を審く力です。このことを使徒信条では「そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます」と告白し、昔の時代から教会は死信じてきました。主イエスの大いなる力を帯びた再臨において最後の審判が行われる。それは恐ろしいことに思えます。

 けれども、この主イエスを「頭を高くあげて」待ち望むことができるのは、主イエスが私たちとこの世界の罪を御自分の身に負って裁かれ、死なれた主イエスであるからです。ルカによる福音書にいなくなった羊を探し出す羊飼いのたとえがあります。百匹の羊をもっている羊飼いがその一匹を見失った時、その一匹を見つけ出すまで命がけで捜し回ります。そして見つかったら、喜んで、その羊を担いで家に帰ります。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」。もう一度来てくださる主イエスは、そのような羊飼いとして、私たちを愛し、私たちにご自分の命を与えてくださった主イエスです。「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」。この御言葉を語り、実現し、私たちに完成してくださる主イエスです。待降節はこの主イエス・キリストが私たちを御自分のもとに招いてくださる招待状を受け取る時です。誰一人例外なくこの招待状を送られています。主イエスが羊飼いのように、私たちを必ず探し、見つけ出し、肩に背負い喜んでくださるからこそ、安心して、希望をもって、この主の招待状を受け取っていくことができるのです。罪を赦され、主の命を与えられ、神の子とされているものとして、恐れおののくではなく、喜びをもって堂々と「身を起こして頭を上げ」て、この主の再臨を待ち望むことができるのです。

 今日の聖書の御言葉でマタイやルカの福音書にも出て来る大事な言葉は32「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」という御言葉です。栄枯盛衰という言葉があるように、この世界のものはどんなものも一時的に栄えても滅びの時が必ずやってきます。天も滅びるなら、地上のものはどんなに脆いのか、滅びるのか。この世は常に移り変わっていきます。しかし、この過ぎ去り行く時間の中で、永遠に過ぎ去らないものがあります。それは主イエスが言われる「わたしの言葉」、「神様のみ言葉」です。主イエスによって示された神様のみ言葉だけが滅びることがありません。私たちに対する神さまの御言葉は必ず成就し、実現します。神さまのみ言葉は、神さまのみ心、ご意志を私たちに語りかけ、私たちに示します。独り子イエス・キリストを私たち罪人のための救い主としてこの世に遣わして下さり、その十字架の死と復活によって罪の赦しと永遠の命を与え、神の子として下さるというみ心です。そして、ご自分の右の座に着かせ、いつか、神としての力と栄光を帯びた方としてもう一度主イエスを遣わして下さる。そのことによってこの世界と私たちの救いを完成して下さるというみ心です。神さまの願い、神さまの御心は、私たちが滅びるのではなく、私たちが救われることです。の神さまの御言葉が不安や恐れを抱える者を支え、生かしていきます。この滅びることのないものに結ばれ、とらえられているものとして、自分の土台、自分の基、拠り所を置いていく。そこで、不安や恐れがあっても、希望をもって、なすべき務め、託された務め、神と人とに仕えていく務めに仕えていくことができます。不安のある現実の中で人生を確かにしていくのは、聖書の御言葉を通して語りかける神の御言葉によって、神を知らされ、神に出会い、神との関係を確かにしていくことなのです。

 待降節を迎えていますが、主の再臨で終わる大きな神の救いの物語に連なるものとして人生を見つめ直し、神の御言葉、神の救いの御心に自分の基、土台を置いて、滅びることのないものを見つめて、歩んでいきたいと思います。

 

【4】説教後の祈り 

 再び来てくださる御子イエス・キリストの父なる神さま。待降節の歩みのなかで、主の再臨で終わる大きな神の救いの物語に連なるものとして人生を見つめ直し、神の御言葉、あなたの救いの御心に自分の基、土台を置いて、希望をもって託されている務めに仕えていくことができますように。

 希望の源である父なる神さま。聖書にあるように、この世界は混沌とし、多くの不安と恐れに包まれ、希望を失っている多くの人々がおられます。どうか、あなたの御言葉の光によって、絶望を突き破り、希望を与え、新しいビジョンを与えて、導いてください。孤独や疎外感に苛まれている人々、家のない人々、紛争や自然災害、政治の混乱によって逃れるように生きる人々をあなたの御翼の陰に避難させ、守り、助けてください。平和の神さま。争いや対立、意見の相異で混乱や苦しみのある場所にあなたの和解を満たしてください。正義と平和に基づく解決が世界に広がりますように。どうか、重い病や大変な状況の中にある人々を助け、支え、癒しを与えてください。そして、私たちをあなたの愛の現れる器として用いてください。

 待降節を歩んでいく全ての教会と一緒に、私たちも、礼拝する神の民として、御言葉を通して、闇の中に輝く光を見出し、希望をもって、あなたに仕えていくことができますように。

この時、特に、心に顔を思い浮かべる、様々な困難に直面している方々のために祈ります。どうか、その方々を助け、導いてください。特に重い病気の中にある方々を助け、癒してください。日々疲れの中にある方々を助け、力をお与えください。特に今旅行中の人々をあなたが守り、導いてください。この礼拝を覚えながら出席できない方々、今場所が違っても一緒に礼拝されている方々、ここにおられる方々、教会に連なる全ての人を祝福し、顧みてください。この時、私たちの心の中にある全ての祈りを顧み、私たちを憐れんでください。この祈りを主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン