東京主僕教会の最近の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。なお、礼拝音声は諸事情により、しばらくの間おくことにしていますので、ご了承ください。

2024年6月9日礼拝

 

****礼拝情報は下記にあります****

 

【1】礼拝順序

   

神の招き

招きの言葉(起立)           イザヤ書40章31節

讃 美 歌(起立)           21-361

罪の告白

罪の告白の祈り(起立)    交読詩編 詩編130編

主よ、あわれみを(起立) 21-32

恵みの言葉(起立)           ヨハネによる福音書3章16節

神の言葉

聖霊の導きを求める祈り

聖書朗読            創世記3章8-13節

                        コリントの信徒への手紙二 4章16-18節

讃 美 歌(起立)      21-441

説   教                    「日々新たにされて」

感  謝

執り成しの祈り

讃 美 歌(起立)           21-475

信仰告白(起立)             使徒信条

奉   献

主の祈り(起立)

派遣と祝福

頌   栄(起立)           21-26

派遣の言葉(起立)

祝   福(起立)

後  奏

*健康上お立ちになりにくい方は着席のまま礼拝をお守り下さい。

 

【2】聖書朗読

◆創世記3章8-13節
8その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、 9主なる神はアダムを呼ばれた。
「どこにいるのか。」
10彼は答えた。
「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
11神は言われた。
「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
12アダムは答えた。
「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
13主なる神は女に向かって言われた。
「何ということをしたのか。」
女は答えた。
「蛇がだましたので、食べてしまいました。」

◆コリントの信徒への手紙二 4章16-18節
16だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。 17わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。 18わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。

 

【3】説教

「日々新たにされて」コリント二4章16-18節      

   「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」という言葉を読んで、小説の『星の王子さま』にでてくる「かんじんなことは目に見えないんだよ」というセリフを思い出す人も多いと思います。『星の王子さま』は、サハラ砂漠に不時着した飛行機乗りの「僕」と、そこで出会った一人の男の子の王子の物語です。物語の終わりで、王子さまは僕と一緒に広大な砂漠の中を、井戸を求めて歩き続けます。王子さまは何時間も歩き続けた後、月に照らされた砂漠を見ながら、ぽつりと「砂漠って、美しいね」と語ります。「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を、ひとつかくしているからだね」というのです。砂漠はどこかに目には見えない井戸を一つ隠している。目には見えない貴いものを内に秘めている。砂漠の美しさは、目に見える美しさではなくて、目には見えないものから来る美しさだったのです。

 普段の生活の中でつい目に見えるものばかりに意識が向いてしまいます。目立つもの、分かりやすいもの、または一見とても華やかできらびやかなもの。そうしてそれらを追い求めてしまいます。それは創世記の始まりにでてくるアダムとエバも同じでした。聖書の最初にある創世記の不思議な物語は、この世界や人間の本質を伝えていますが、アダムとエバが園の中央に生えている木の魅力にひかれて、その実を食べてしまった時、二人は神さまが恐くなり、隠れてしまいました。神様が「どこにいるのか」と言われたのは、神さまは隠れる必要のない神であり、二人を愛してやまない神であり、一緒にいることを喜ばれるからです。神さまは私たちを一人一人を愛して、命を与え、支え、共にいてくださっています。アダムとエバは目に見える美しさに心を奪われて、目に見えない大切なこと、神さまの大きな愛を忘れてしまったのです。

 目には見えない、大切なもの。目には見えない、永遠に存続するものとは何でしょうか。この手紙を書いたパウロは、それは、「信仰と希望と愛」であると語っています。「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(コリントの信徒への手紙一13章13節)。目には見えないこの信仰と希望と愛は、いつまでも残る。そしてその中でも、最も大いなるものは愛であるとパウロは語っています。なぜ愛が最も大いなるものであるのでしょうか。それは、愛は神さまが生まれているからです。「16神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。神さまはその独り子を差し出してもかまわない。私たちを救うために、神さまが大きな犠牲を払ってでもかまわない。その偽りのない、大きな愛をもって大切にしてくださっています。たとえ私たちが失敗しても、あるいは挫折しても、あるいは自信を失ったときにでも、神様の目には私たちは価値のある尊い者として受け止められています。犠牲を払ってでも買い求めたいと思うほどの存在なのです。そう神様の目には映っているのです。この神さまの愛は永遠に存続しています。

 生後18か月で高熱が原因で視力と聴力を失い、目が見えず、耳が聞こえなかったヘレン・ケラーという人がいます。後に福祉の活動で働いた人ですが、ヘレン・ケラーはサリバンという先生に教育を受けました。言葉を覚え、ナイフやフォークの持ち方などを覚えて、成長していきました。けれども、サリバンは、一番大切な事を教えることができないと言って、悩みました。それが神さまの愛でした。神さまがヘレンのことをかけがえのない大切な人として愛しておられることを伝えようとしましたが、なかなか伝えることができなかったのです。ある日、サリバンはヘレンの手を握ってお祈りをしました。「神さま、ヘレンにどうしてもあなたの愛を伝えることができません。わたしを許してください」。そう祈って涙を流しました。その涙がサリバンの目から流れ、ヘレンの手に落ちた時、はじめて、ヘレンは、サリバンの愛を通して、神さまの愛を知ったのです。ヘレンはこのように言っています。「わたしには、絶望のどん底に陥り、くらやみがすべてを覆う時代があった。しかし、愛が来たことによって、わたしの魂は、自由にされた」。私たちを愛して、支え、導いてくださる、目には見えない愛が、私たちの存在を美しく輝かせていきます。見える世界の中にありながら、見えない世界、神さまの愛に心をあげ、向けていくと、見える世界も変わってきます。

 「内なる人」というのは、神さまに愛されて、支えられている自分、神さまと共に生きている自分です。目に見えない神が共にいて下さり、神さまの愛によって受け入れし、支えて下さっていることを知らされるなら、「内なる人」として、日々新たにされつつ生きることができるのです。がっかりして落胆してしまうことなく、永遠に存続する神の愛に支えられて勇気をもって歩むことができるのです。

 

【4】説教後の祈り

 いつも私たちを大事な子どもとして共にいてくださる父なる神さま。私たちには失望したり、落胆したりする時がありますが、どうか、目に見えるものにのみ、私たちの心を向けるのではなく、目に見えないけれども、あなたの愛に心を向け、日々新たに歩んでいくことができますように。私たちを愛して、支え、導いてくださる、目には見えない、あなたの永遠の愛に輝いている自分として、いつも見つめ直して、勇気をもって歩むことができますように。

 私たちは今、世界の落胆している人々のために祈ります。病気の人、心に苦しみをもつ人、愛する者を失った人、悲しみや痛みのなかにある人、挫折し、絶望している人、全ての落胆している人々に、あなたの愛と力を表し、助けをお与えくださり、励ましてください。全ての町や村に平安をお与えください。対立、不信、偏見、不公平をのぞき、飢餓、人権の抑圧、社会的不正、民族間の紛争、長く続いている戦争を終わらせ、まことの平和を実現してください。政治にたずさわる全ての人々の重要な決断の時に、あなたの知恵をもって導いてください。様々な社会の問題や世界の問題の解決のために取り組み、働いている全ての人々を支え、導いてください。全ての人々が与えられている賜物をもって互いに大切にして仕えていくことができますように。

 この時、顔を思い浮かべることのできる、心と体に痛みをもつ方々に、疲れを覚えている方々に、あなたの慰めと癒しをお与えください。私たちの家族や友人、親しい方々にあなたの祝福をお与えください。この礼拝を覚えながら、様々な事情で来ることのできなかった方々を祝福し、顧みて下さい。今ここにおられる人々、場所は違っても共に礼拝する人々、心に覚えるすべての人々を祝福の内に導いて下さい。目には見えない大切なものに心を向けて、心ゆたかに歩んでいくことができますように。

 この祈りを世の終わりまで私たちに近くいまし、共にいてくださる主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン