東京主僕教会の最近の説教など

礼拝に来ることができなかった方、教会に関心のある方のために牧師が作成しています。どうぞ、礼拝にも来てみてください。なお、礼拝音声は諸事情により、しばらくの間おくことにしていますので、ご了承ください。

2024年3月3日礼拝情報

 

****礼拝情報は下記にあります****

 

【1】礼拝順序

《 前    奏 》
《 神の招き 》
招きの言葉(起立)    イザヤ書55章1節
讃 美 歌(起立)    26(1、3)
《 罪の告白 》
罪の告白の祈り(起立)    交読詩編 詩編19編
主よ、あわれみを(起立)    21-32
恵みの言葉(起立)    ローマの信徒への手紙4章24-25節
《 神の言葉 》
聖霊の導きを求める祈り
聖書朗読    出エジプト記20章1-17節(旧126㌻)
    ヨハネによる福音書2章13-22節
(新166㌻)
讃 美 歌(起立)    262(1、2)
説   教    「三日で建て直される神殿」
《 感  謝 》
執り成しの祈り
讃 美 歌(起立)    136(1、2)
信仰告白(起立)    ニカイア信条
聖 餐     136(3、4)
奉   献
主の祈り(起立)
《 派遣と祝福 》
頌   栄(起立)    542
派遣の言葉(起立)
祝   福(起立)
《 後  奏 》
*健康上お立ちになりにくい方は着席のまま礼拝をお守り下さい。

 

【2】聖書朗読

出エジプト記20章1-17節
1神はこれらすべての言葉を告げられた。
2「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。 3あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
4あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。 5あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、 6わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
7あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
8安息日を心に留め、これを聖別せよ。 9六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、 10七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。 11六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
12あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
13殺してはならない。
14姦淫してはならない。
15盗んではならない。
16隣人に関して偽証してはならない。
17隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」

ヨハネによる福音書2章13-22節
13ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスエルサレムへ上って行かれた。 14そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。 15イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、 16鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」 17弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。 18ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。 19イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」 20それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。 21イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。 22イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。

 

【3】説教 「三日で建て直される神殿」

 私たちは今、主イエス・キリストの御受難と十字架を覚える受難節を歩んでいますが、主イエスが何のために苦しみを受け、十字架で死なれたか、その意味を明確に語られているのが今日の御言葉です。主イエスは過越祭にエルサレムに上って、神殿に行かれました。エジプトからの解放の出来事を祝う過ぎ越し祭の時にエルサレムの神殿で主イエスが行われた宮清めと呼ばれる出来事は、他の三つの福音書では主の御受難の時に起こっています。けれどもヨハネによる福音書では、主イエスの宣教の始まりに起こっています。それは、ヨハネによる福音書がこの出来事から主イエスが神殿をきれいにすることだけではなく、主イエス御自身が神殿に取って代わること、そのことが、主イエスがこの世界に来られ、御自分から苦しみを受け、十字架で死なれ、復活された目的であると理解しているからです。私たちの人生の目的もそこにつながっているのです。

 神殿は旧約聖書において神が住まわれる場所であり、天と地、神と人が出会い、神と人を結ぶ場所です。人が生きておられる神のみ前に出て礼拝し、犠牲をささげ、神との交わりに生きるための場所でした。主イエスが行かれた神殿には「異邦人の庭」と呼ばれる広い外庭がありました。そこで巡礼者を対象とした犠牲の献げ物の売り買いやお金の両替がなされていました。神さまに犠牲の献げ物をすること自体は律法に記されている大切な掟でした。遠くから来る人々の中には、犠牲としてささげる動物を長い道中運んでくることができない人々もいました。だから、神殿の境内では、犠牲の献げ物が売られ、それを巡礼者は神に献げたのです。

 しかし当時巷で用いられていたのはローマやギリシャの通貨です。それは神殿では使えず、イスラエルの民の通貨であるシェケルを用いなければなりません。だから両替する人々が必要でした。しかし問題は必要以上に手数料をとり、莫大な利益を得る人々がいたことです。神殿は神に心をまっすぐに向け、神に真剣に祈り、感謝をささげる場として与えられました。神に近づき、神に出会う目的のために使われるものがいつの間にか違う目的に使われ、神ではない違うものに心が向いて、偶像の神が創り出され、拝まれている。いつの間にか心に違うものが生まれている。神殿が商売の家となり、利益を増やす場となり、欲望の神殿となっている。主イエスの激しい行動はそれが神に裁かれる程の罪であることを示しています。そこに私たちが受難節に心のなかに見つめていくべき罪があります。

 主イエスは19「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」と言われます。「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだった」とありますが、だとするなら、「この神殿を壊してみよ」とは「この体を壊してみよ」、「私を死なせてみよ」ということです。このお言葉どおり、主イエスは十字架に架けられてしまいます。主イエスは自ら犠牲となり、自らその神の裁きを受けて、十字架で死なれ、三日目に復活して、御自身を生ける神殿として建て直してくださいました。神に背き、従うことができない私たちのために神殿となって、礼拝において、主が現臨し、私たちと出会い、赦しと永遠の命を与えて、共にいてくださいます。

 主イエスが神殿となり、神と出会う礼拝の場所となってくださったことが示されているのが、ヨハネによる福音書の4章で主イエスが喉が渇き、水を求めて井戸にやってきた時に起こったサマリアの女性との対話に明らかにされています。21「あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」。23「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である」。「霊と真理」、言い換えれば「イエス・キリスト」。主イエスにおいて、父なる神を礼拝する。その時、夫の問題で今や人目を避けて水を汲む生活を余儀なくされ、心が渇いていたものが、主イエスに出会い、仕えるべき真の神を知り、礼拝し、渇きが癒されます。「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」。私たちも神殿となってくださった主イエスを通して、神に出会い、神に従っていく命の道を備えられているのです。

 今日の聖書の個所と一緒に読まれるのは、ヨハネ1章14節です。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」。その主イエスが私たちの全てを引き受け、苦しみを受け、十字架で死なれ、復活して、ご自分を神殿として再建してくださいました。1章14節にあるように、私たちと共にいるためであり、私たちをその栄光に与からせてくださるためです。新約聖書では、私たち一人一人も、主という代価を払って買い取られた神殿であり、キリストの体である教会も神殿として展開されていきます。教会も一人一人も主が御自分のものとしてどんな時も見捨てることなく働いてくださり、用いてくださる神殿とされています。このことに感謝して、主イエスに従っていきたいと思います。

 

【4】説教後の祈り

 御子イエス・キリストの父なる神さま。主イエス・キリストが、私たちのために罪を引き受け、打倒され、死の中から復活し、あなたがいつも私たちと出会ってくださる神殿として、常に私たちと共にいて下さることを感謝します。どうか、日々の歩みの中で、私たちも神の神殿とされている者として、あなたを賛美し、礼拝することから、主に用いられ、主の恵みを表わす器として、あなたの栄光を表わしていくことができますように。

 この世界に御子イエス・キリスト聖霊と共に今も生きて働いておられる父なる神さま。私たちはこの世界の生きづらさを感じている全ての人々のために祈ります。厳しい自然の災害によって苦しむ人々、厳しい生活によって苦しむ人々を助け、必要なものを与えてください。痛みや病に耐えている人々、悲しみや喪失に直面している人々を顧み、癒しと慰めを与えてください。自分や周囲の人々や世界の行く末を案じる人々に希望を与えてください。苦しみを和らげ、危機に対応する人々、現実に疲弊している人々に慰めと励ましをお与えください。世界の全ての為政者がこの時代の課題に立ち向かっていくために必要な知恵と真理と力をお与えください。この世界の平和への働きを強め、必要な変化を与え、全ての紛争と戦争に終止符を打って、平和があらゆるところに実現しますように。

 世界と日本にある教会、私たちの教会が変化していく時代のなかで、充実した礼拝をささげ、信仰と交わりが強められ、癒しと希望の創造的な担い手となって、宣教の働きに仕えていくことができますように導いてください。

 この時、心に顔を思い浮かべることのできる方々、心と体に痛みをもち、病の中にある方々に、あなたの癒しと力と希望をお与えください。この礼拝を覚えながら、様々な事情で来ることのできなかった方々、今ここにいるお一人一人、場所が違っても一緒に礼拝されている方々、心に覚える人々をかえりみ、今日から始まる日々を祝福し、導いてください。この時、私たちの心の中にある全ての祈りを顧みてくださり、どうか憐れんでください。

 この祈りを世の終わりまで私たちと共にいてくださる主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン